先輩の横顔
会社の先輩の麻衣さんは、いつも私を気にかけてくれるやさしい人だ。4歳の子のお母さんで、朝は保育園にお子さんを送り届けてから来るらしく、出勤時間はギリギリ。帰りも退勤時間になった瞬間に会社を後にする。
「残業できないからね」
麻衣さんはそう言って、昼休みもサンドイッチを片手に仕事をしていることが多い。私はその横でおにぎりを食べながら凛とした横顔を見ている。
「何か手伝えること、ありませんか」
新入社員の私はまだまだ覚えることが多くて、先輩の仕事を代わりにこなすなんてことできないのはわかっていたけれど、ついこんなことを言ってしまった。
「里沙ちゃん、いつも気遣ってくれてありがとう」
私は心配しているだけで、結局は何もできていない。学生時代にしていたアルバイトとちがって、毎日働くのがこんなに大変なものかと日々痛感するばかりだ。
学生の時は、思えば気ままな生活だったと思う。講義室が寒くて我慢できなかったら、先生に言って冷房を弱めてもらうこともできたし、途中で退室することだってできた。でも、職場だとそうはいかない。うちの会社は暑がりが多いのか、初夏にさしかかった途端にエアコンのスイッチが入った。私の席はちょうど風が当たる位置で、こっそり温度を上げてみたりもしたけれど、気が付くと戻っている。みなさんはすごい熱気で仕事しているから気にならないのかな。冷え性の私には、正直辛い。
ある日の午後、麻衣さんはお子さんが熱を出したとかで早退した。親になるって大変なんだな。そうぼんやり思った矢先、目に入ったのは麻衣さんの机の上の一つのファイルだった。
そっと手に取って中を確認する。この企画書、クライアントに提出するのは明日の朝までだったはず。さすが麻衣さん、きれいにまとめられていた。
……これ、もう提出してるよね? 麻衣さんに限って送り忘れとか、ないよね?
嫌な予感がして、麻衣さんに電話した。
「あ……、戻らなきゃね」
企画書の名前を出した瞬間、麻衣さんの小さなつぶやきが耳に重く響く。
「こっちは大丈夫ですから、麻衣さんはお迎えに行ってあげてください」
私はそれだけ言うと、すぐに電話を切り、ファイルを持って他の先輩のところへ向かった。
企画書は、無事に届けることができた。データはパソコンからもう送っていたみたいだけれど、このクライアントさんはプリントアウトしたものもないと機嫌を損ねてしまうらしく、後から課長に褒められた。
「これ、よかったら使ってね」
後日、お礼だと言って麻衣さんがくれたのは、ハンドソックスというアームカバーだった。
「いつも事務所で寒そうにしてるでしょ。これなら指先まで伸ばせるけど、タイピングの邪魔にならなくていいと思って」
「そんな、私は当然のことをしただけですよ」
「いつも私のことを見ていてくれたから気付けたんだと思う。だから、ありがとう」
実はおそろいなの、と麻衣さんはかばんから色違いのハンドソックスを取り出す。
「麻衣さん、もう時間です」
時計は終業時間を5分超えていた。
「急がなきゃ」
仕事をしている麻衣さんもかっこいいけど、お母さんの彼女もすてきだな。早速プレゼントを着けた手を振って見送った。