OEMのご依頼について
私たちは一貫してファッション手袋を作り続けてきました。国内ブランドの個性、高級感、独創的なアイデアやデザインなど、数々のイメージを形にしてきました。それはデザイナーと私たち手袋職人の想いが生み出した合作です。そのご依頼があったからこそ、現在の江本手袋の技術と感性があります。
以前、ホームページも無かったころ、江本手袋に『数は少ないのですが、手袋を作ってもらえませんか?』と電話がありました。電話帳で調べ手袋メーカーに電話していき、最後にたどり着いたのが江本手袋だったそうです。その後、ご来社いただいてお話しを聴くにつれ「この人の想う手袋を形にしてみたい」と思い、ご依頼をお受けしました。
私たちの手袋を必要とする、同じ価値観の仲間と喜び合うために、江本手袋は1組の手袋を本気で作ります。
デザインにこだわりのある方、小ロット生産でお悩みの方、お気軽にご相談ください。
※生地を裁断して縫製する「縫い手袋」専門です。革手袋や編み手袋の取り扱いはございません。
OEM
江本手袋とは
人らしく生きるものづくりで、
喜び合える地域社会を創る
-
1.江本手袋について
江本手袋はものづくりの喜びを共有できる会社です。
それは、身に付けた瞬間に”想い”が伝わる手袋を作り上げる喜びです。私たちの手袋作りに関わる仲間の想いを形にできること。私たちの手袋を通じて、人としての幸せを生み出せる喜び。
「人が人らしく生きるものづくり」が江本手袋らしさです。
-
2.私たちのこだわり
江本手袋はずっと昔から引田という港町で、日本の手袋メーカーとして昔と同じ製法にこだわりつづけています。
それは作り手の顔が見える手袋です。
この町に生きる職人の笑顔を守り、人が人として幸せに生きることを追求するために、この町で手袋を作りを続けています。
-
3.手袋に込めた想い
ある日、やっと弊社を探しあてた女性から電話をいただきました。
『目にとまって購入した手袋がびっくりするほど気持ちが良く感動したので、もっとこの手袋が欲しい。』そう言われた時、自分たちの想いが届いたようで本当に嬉しかったです。
「着けた人の気持ちが良くなる手袋を届けたい。」この一心で作っています。
Emoto
Tebukuro
江本手袋の歴史
1888年
(明治21年)
香川県東部の地場産業である手袋製造は1888年(明治21年)、白鳥村千光寺の副住職であった両児舜礼が大阪で当時「手靴」と呼ばれたメリヤス製の手袋製造技術を持ち帰ったことから始まった。細々とした農業と漁業など、これといった産業も無く厳しい暮らしだった地元に「地域住民が安心して働ける産業を」という志だった。後にいとこの棚次辰吉が帰郷し、手袋製造所を設立。舜礼の事業を継いだ辰吉は地域の手袋産業の発展に大きく寄与した。
また、この地域を担ってきた人物に、和三盆糖という産業をもたらした向山周慶、日本で魚類養殖を初めて成功させた野網和三郎といった、同じ志をもつイノベーターがいたことも忘れてはいけない。
1948年頃
江本手袋は1939年(昭和14年)の創業より一貫して縫手袋を追求してきた。
和三盆に関する和菓子職人として働いていた故江本綱太郎(つなたろう)は、安価な砂糖が市場に出回るようになり、将来を案じて親族が経営する手袋製造の田中商店で働くようになった。そこで身に付けた技術を基に、家族と近隣の安定した仕事のために1939年(昭和14年)江本手袋製造工場として独立創業したが、直後に第二次世界大戦に突入し一時休業せざるを得なくなった。
戦時中は、愛媛県新居浜の工場へ徴用された後に陸軍第55師団に召集されビルマに出兵。終戦後1946年(昭和21年)に帰国して営業を再開した。
1950
~1960年頃
1956年(昭和31年)には有限会社江本手袋商店として法人化した。
初代故江本綱太郎は、子供の制服の名札が少し曲がっているだけでも注意するような几帳面な性格で、規則正しい生活を重んじた。酒豪の一面もあったが隠居後は健康面からぷっつりと酒はやめ、銀行の支店長や旧知の友人たちと将棋を楽むなど、穏やかな余生を過ごした。
江本手袋を二代目の江本弘に事業継承してからは一切口出しすることなく経営を任せ、相談された場合にのみアドバイスする程度であったが、代替わりしてからも、職人の仕事を絶やさないことを最優先して利益は二の次といった経営姿勢は引き継がれていた。
1980
~1980年頃
二代目江本弘(ひろし)は大らかで人懐っこく、人を喜ばせることが好きな性格で、外出先の飲食店でたまたま居合わせた客と意気投合するようなことがよくあった。経営を引き継いでからは順調に販路を拡大していき業績を伸ばしたが、当時の海外生産の流れには乗らず地元の外注先を大切にする創業からの考え方は変えなかった。
(かつての手袋産業は近隣の主婦や小さな工場が分業で作り上げるスタイルだった)この考え方は、過去この地域に何百件もあった手袋工場のほとんどが姿を消した現在も受け継がれ、地元の縫子さんを切ってまで海外に安いコストを求めない姿勢は、人と人の繋がりを大切にする丁寧なものづくりに繋がった。
また、昔ながらの製法は変えないが、人を喜ばせるための新しい技術やデザイン、素材、刺繍加工にチャレンジする自由な発想は、現在の江本手袋らしさとなっていった。
1990年以降
三代目江本昌弘(まさひろ)は、江本手袋の取引先であった手袋を扱う東京の商社に勤めた後に帰郷し、代表に就任した。
祖父故綱太郎と父弘の二人の背中を見ながら育った昌弘は、自身が手袋に関わる中で、この地に手袋をもたらした谷次氏に想いを馳せるようになった。そして、福島令子氏の手袋への情熱に共感し、新しいビジョンを描いた。
人の心を震わせる手袋を通じて、先人たちの想いを受け継ぎ地域社会から必要とされる手袋メーカーになること。そして、江本手袋が自分らしさを表現できる憧れの存在になることだ。
これまでの、ライセンスブランドやドメスティックブランドのOEM生産で培った実績、創業から変わらない日本の国内製造、細やかな小ロット対応、色々な素材への柔軟な対応、特別な刺繍が施された手袋など、江本手袋には強みがある。この強みに自分たちの想いを乗せて、新しい手袋の歴史作りへの挑戦が始まる。
history
会社概要
社名 |
江本手袋株式会社 Emoto Tebukuro Co., Ltd. |
---|---|
所在地 |
〒769-2901 |
連絡先 |
TEL:0879-33-3165 FAX:0879-33-3505 |
創業 | 1939年(昭和14年) 江本手袋製造工場 |
設立 |
1956年(昭和31年) 有限会社江本手袋商店 1978年(昭和53年) 江本手袋株式会社(平成29年(旧)に変更) 2017年(平成29年) 江本手袋株式会社として新設及び事業継承 |
資本金 | 200万円 |
役員 |
代表取締役 田部智章 代表取締役 江本昌弘 |
従業員数 | 4名 |
協力工場及び外注先 | 4件(約8名) |
事業内容 | 手袋製造(縫い手袋他)/縫製雑貨小物製造/OEM |
主要仕入れ先 | 三山株式会社/大津毛織株式会社/他 |
関連会社 | 株式会社タナベ刺繍 |
company
お問い合わせ
ご質問・ご相談がございましたら、
お気軽にお電話か、
下のメールフォームにてお問い合わせください。
0879-33-3165
contact